・自分からの弔辞

 ウイスキー、パイプと煙草、教会活動、ピアノ演奏、8ミリ映画作り、クラシック鑑賞、歌舞伎、ファッション、バンド活動、ジャズ、美術館巡り、ゴルフ、ラグビー…、これだけの趣味・嗜好を持つ大人は数多いても、「高校生」ではなかなかいないだろう。僕がそうだった。

もう一人同志がいたが、すでに彼はこの世にいない。親友の森 清だ。たまたま二人とも、高校生には見えない大人びた風貌を持っていた。僕は中学三年の頃には、私服で目白駅界隈を歩いていると、よく学習院の大学生に間違われたくらいだった。そんな僕たちは、十六歳の頃から夜な夜な銀座や六本木のジャズクラブに出入りしていた。六本木バードランドの初めての高校生の客が僕たちだった。最初で最後の客かもしれない。当時、デイック・ミネさんはそう笑って酒をごちそうしてくれた。

清とはジャズを楽しみ、ウイスキーを楽しみ、ファッションを、パイプを楽しんだ。かけがえのない友人だった。世間の同世代が、山口百恵だった時、僕はマーサ・三宅の追っかけをしていた。小学生から中学生にかけては、クラシック・オンリーだった。その頃にはすでに、N響の演奏会には一人で出かけていた。だが、高校生になってからは、ロックとジャズだった。

というわけで、僕は若い頃から人並外れて多趣味なのだが、実は、何一つとしてものになっていない。この傾向は、成人してから始めたヨットやテニス、クレー射撃などでもそうだ。そこそこはやるが、上級者ではない。あえて、そうしてきたのだ。それには理由がある。特定のひとつを掘り下げてしまうと、それに時間や労苦を集中して奪われてしまい、他にまで手が回らなくなるからだ。
だから、僕は浅く広くの方を選んだ。ひとつのことを、あえて突き詰め過ぎず、ほどほどに楽しむ。そして、その分、より多くの様々な楽しみを享受する。これが、たった一度しかない人生に対する僕の生き方の基本だ。

そうさせてくれたのは、多分に両親のおかげによるところが大きい。質の高い芸術を嗜む両親は、僕が小さな頃から、あらゆる芸術に触れさせてくれた。クラシック鑑賞、歌舞伎鑑賞、ジャズ観賞、美術鑑賞等々、そういった環境面でのことと、もうひとつは時間面でだ。
中学から大学までの一貫学校に入れてくれたことだ。中学校から私立に行くことは当時としては珍しいし、経済的にも大変だったと思う。また、まだ羽田にしか空港のない海外旅行が珍しい時代にヨーロッパへ遊学させてくれたのもしかりだ。

ほとんどの日本の若者は、中学生の後半、高校生の後半、受験勉強をしなければならない。
感受性が豊かで、自分の人格の礎になる人生で最も貴重なこの時期にである。その大切な時間の大半を受験勉強に費やさなければならないのだ。たった一回しかない人生において、これは致命的なことだ。あまりにも悲しすぎることだ。
なぜならば、その時の時間は、いったん通過してしまえば二度と取り返せないからだ。成人してから、例え世界一の金持ちになったとしても、買い戻すことはできないのだ。取り戻すことはできないのだ。
両親は、その貴重すぎる時間を僕に与えてくれた。僕は中学、高校共に、三年の三学期の最後の一日まで、存分に自分の好きなこと、やりたいことに時間を費やすことができたのだ。

母は、ミロのヴィーナスやツタンカーメンの展示に連れて行ってくれた。
美術館にも頻繁に足を運んだ。父は、デューク・エリントンの来日公演に連れて行ってくれた。食堂で偶然居合わせた楽団員にたばこを勧められたが、当時、僕はまだ小学生だった。

文学に対してもそうだった。
両親は、僕が子供の頃から、本や画集を惜しみなく与えてくれた。
その甲斐もあって、読むだけでなく、書く方にも興味を持てたようだ。
小学生のころ、全国紙の新聞に僕の作文が採用され、掲載された。両親ともに、文章を生み出すということについては、人並み以上の才能があったのだと思う。
父は、オーディオの専門誌に毎月のように執筆をしていたし、母に至っては、独身時代は新聞社に勤めていたのだ。その二人の血を引いた僕に、文章の読み書きの関心が人一倍あるのは自然なことだろう。しかし、僕が本格的に小説を書いてみようと思ったのは、それから半世紀近くも後のことだ。
多少の才覚はあったようで、書いた作品の半分以上はそこそこの評価を受けた。そこで、一回はちゃんとした本にしようと思った。両親に感謝の意を伝えるためだ。二人が存命中に実現させようと思った。
だから、登場人物の一人は、若き日の母親をモデルにしている。

僕は、一貫して、今やりたいことがあれば、できるだけ、今やるようにしてきた。
それには、大小の犠牲を伴ってきた。しかし、極力そうするようにしてきた。我慢をしなかった。我慢が出来なかった。
そうすることで、いつ死んでもかまわないという精神状態が保てていた。いつ死んでも悔いが残らなかった。

成人しても、人の何倍も、やりたいことをやり尽くした。充分すぎるほど人生を謳歌できた。その分、息子には十分に愛情が行き渡らなかったかもしれない。それを除いては、いつ死んでも悔いはない。

僕に、人生を謳歌する「時間」と「環境」を与えてくれた両親に心から感謝する。お世話になった人たちにも感謝する。

平成二十九年 冬

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